戦中~戦後10年

<編集者コメント>

自社編集の社史で、昭和24年1月10日にメンタイと名付けて、北海道のたらこを加工せず売ったと記述しているのは、貴重な資料です。 他方、北海道のたらこを加工せず「メンタイ」と売っていたことから、今でいう明太子を作った時期の特定には、客観的な資料が必要となってくきます。 

 

戦中~戦後資料1

(資料:博多明太子物語ふくやの50年、1997(平成9)年)

 

この日、初めて「ふくや」の店頭にメンタイが並んだ。従来、この日に「味の明太子」が誕生したというのが通説になっている。ところが今回、五十年史作成のため、たくさんの方にお話を伺ってみると、どうも違うようだ。
俊夫は「味の明太子」を作り上げるまで、長い時間をかけて試行錯誤している。自信を持って世に送り出したのは、もっと後になってからだ。なのに、なぜ一月十日説が一人歩きしてしまったのか。おそらくこの日、「ふくや」に明太子の原料である「たらこ」が初めて商品として持ち込まれたからではないだろうか。(中略)

昭和二十四年一月十日。たらこは加工せず、釜山風に「メンタイ」と名付けられて「ふくや」の店頭い並べられた。この時から「ふくや」の「味の明太子」が着想され、長い商品開発の道を歩み始めるのである。




編集者コメント

高井商店は当時二度倒産をしています。 つまりこの写真は具体的な日時は特定できないものの、1954(昭和29)年から1960(昭和35)年、1961(昭和36)年から1979(昭和55)年のどこかの年度で撮影された写真ということになります。

 

戦中~戦後資料2

(資料:明太子開発史、2008(平成20)年)
高井商店の写真

資料倉庫

昭和30年1月29日

(資料:みなと新聞、1955(昭和30)年)スケソウの子(たらこ)の市況戦後は皆貧しかった為、日付の特定できる写真などの資料も極めて少ない状...

戦中~戦後10年

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昭和14年11月10日

(資料:関門日日新聞、1939(昭和14)年)今年の明太子は(咸鏡南)道当局の指導と製造者の自覚で品質向上咸鏡南道出張所長 平櫛氏語る...

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(資料:関門日日新聞、1939(昭和14)年)上から3段目、明太子極上が22円 (資料:関門日日新聞、1939(昭和14)年)健康食品として...

昭和14年9月29日

(資料:関門日日新聞、1939(昭和14)年)井ノ口商店の明太子広告※井ノ口商店に関しての資料があればご連絡お願いいたします。 ...

昭和14年9月21日

(資料:関門日日新聞、1939(昭和14)年)大阪荷受連盟会の明太子取扱い高 昭和13年度中、ざっと5万余樽...

昭和14年9月17日

(資料:関門日日新聞、1939(昭和14)年)咸南新明太子の下関入荷...

昭和14年9月

(資料:防長之水産、1939(昭和14)年)明太子倉庫建設計画のため咸鏡漁組が下関市に正式に申込む...

昭和14年8月3日

(資料:関門日日新聞、1939(昭和14)年)明太子倉庫11月上旬までに建設...

昭和14年2月8日

(資料:関門日日新聞、1939(昭和14)年)明太子の取り扱いでは下関は日本一...

昭和14年2月3日

(資料:関門日日新聞、1939(昭和14)年)明太子広告右から1行目に明太子の文字※名越商店に関しての資料があればご連絡お願いいたします。...

昭和2年2月25日

(資料:樋口丈治 (会津若松市)蔵)樋口商店の「明太子元祖」印刷入り封筒...

大正15年

(資料:朝鮮之水産、1927(昭和2)年)北海道明太、明太子製品販路の状況 檜山郡水産會のもの...

大正14年2月

(資料:朝鮮之水産(大正14年4月号)、1925(大正14)年)左から4行目に明太子の文字数量は201貫とあり、753.75kg単価は90円...

大正13年10月11日

(資料:関門日日新聞、1924(大正13)年)江原道(カンウオンド)明太子の価格左から5行目...

大正13年10月10日

(資料:関門日日新聞、1924(大正13)年)江原道(カンウオンド)明太子の価格 右から5行目...

大正11年

メンタイ(鱈子)との記述があります。 大正3年に「明太子」の記述はありますが、活字は音が確定しません。 大正11年のこの資料は、カタカナで「...

大正3年12月12日

大正3年12月12日の関門日日新聞に「明太子」の文字が初めて確認されました。 新聞というメディアの性質上、この時点で既に日本で周知の事実の言...