現在では馴染みのある言葉、明太子。

 

日本語としてのこの名称・呼び方はいつ誰がつけたものなのか、現在の資料では人物を特定することは出来ていません。

 

しかし少なくとも下に示す2つの資料より、大正時代には「明太子」という言葉があり、「メンタイ」という呼び方があった事がわかります。

 

明太子の記述

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(資料:関門日日新聞、1914(大正3)年)

 

 

メンタイの記述

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(資料:大阪市海産物市場調査、大阪市役所商工課、1924(大正13)年) 

 

その他にも朝鮮の資料を含め、古くから明太子に関する名称、呼び名についての諸説が存在しています。

 

ここではその内の3つの例を紹介します。


1つ目

松南雑識巻十四、角鳥篇に「明川太姓人、釣如得北魚、大而肥美、故名明太」とある。

当時、李朝観察史の閔(ミン)という人がが明川群(ミョンチョン)に来て、肥大かつ美味の魚を食べた。地元の人に尋ねたが知らなかったため明川群の明と漁獲した漁師の太をとって明太(ミョンテ)と名づけたという。

(引用:明太子開発史、2008(平成20)年)

 


2つ目
北海道の戦前の郷土史家、樋口忠次郎氏の朝鮮三題(北海道倶楽部(月刊誌)昭和11年)によると、李朝太祖の時代、明川の漁師が延縄漁具で釣られたスケトウダラの名前がわからないので群主に相談したところ、明川群の明と漁獲した漁師の太をとって明太(ミョンテ)と名づけたのが始まりと書かれています。 

 

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(資料:北海道倶楽部第三巻第11号、1936(昭和11)年) 


3つ目
明太子開発史には以下の記述もあります。

明太という名称は韓国語に由来するが、1850~1914年(明治30年~大正3年)頃に朝鮮半島に住んでいた日本人の漁業者、貿易商、韓国の漁業者などが合作した合成語と言われている。

(引用:明太子開発史、2008(平成20)年)

 

 


明太子の呼び名には不自然な所が一点あります。それは「明」の読み方です。
 

日本の音読みは漢字が中国から取り入れられた時の中国読みで、訓読みは日本固有の読みです。

 

以下は音読みについての記述です。

 

漢字は長い年月をかけて日本に伝わってきましたから時代によって発音の変化があります。 わが国に入ってきた時代によって”漢音”(かんおん)、”呉音”(ごおん)、”唐音”(とうおん)と区別をしています。 (中略) 「京」「丁」「明」「行」という漢字の読み方について、感音、呉音、唐音の順に紹介すると「京」は“ケイ・キョウ・キン”、「丁」は“テイ・チョウ・チン”、「明」は“メイ・ミョウ・ミン”、「行」は“コウ・ギョウ・アン”という発音になります。

(引用:石井式で漢字力、国語力が驚くほど伸びる)


これより明太子の言葉の響きを知らないでそのまま日本人が造語で呼び名を作れば

  • めいたいこ
  • みんたいこ
  • みょうたいこ

となります。

「めん」という読みは、日本では直接使用されている読み方ではないので「めんたいこ」という呼び名を一個人が造語として名付けたというのはにわかに信じ難い話です。

 

外来の呼び方が時間の経過とともに発音しやすいように変化して「めんたいこ」になったと考える方が自然ではないかと推測します。

ここで他の国でのスケトウダラ卵の外国名を紹介します。

 

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(資料:明太子開発史、2008(平成20)年)

明太子が由来するのは朝鮮半島だが上の資料にあるように読み方はミョンランジョであり、メンタイコではありません。

 

一方で中国ではスケトウダラのことをミンタイユーと呼び、ロシアではミンタイと呼びます。

 

どちらかというと、中国、ロシアの方が近い響きに見えます。 



ここで日本の言葉でロシアに語源を持つ言葉があることを紹介します。それはイクラです。

 

ロシア語「Nkpa(ikura)」に由来するが、ロシア語では「魚の卵」「小さく粒々のもの」を意味し、日本でいう「イクラ」は「イクラ・クラスナヤ(赤いイクラ)」、「キャビア」は「イクラ・チョールナヤ(黒いイクラ)」である。 日本では、日露戦争出兵時にロシア人がキャビアの代用品として食べた事に始まり、昭和初期まで日本の市場で「キャビア」として出回っていたのは、「イクラ」であったといわれる。

(引用:語源由来語辞典、http://gogen-allguide.com/i/ikra.html) 


今後も面白い資料が見つかれば追記していきます。


・参考文献・
明太子開発史
語源由来語辞典、http://gogen-allguide.com/i/ikra.html
石井式で漢字力、国語力が驚くほど伸びる

 

 

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